命の重さ

福岡で起きた小学一年生の男児殺害事件。
事件当日、「ぜったい母親が怪しい!」とカアチャン母…
「まさかぁ〜」なんて、カアチャン母の妄想癖をバカバカしいと笑って受け流したカアチャンでした。
が…「お腹を痛めて産んだ我が子を殺すなんて!ないない!」
と…思ったカアチャンの方が妄想だったなんて…あまりにも悲しすぎる現実…
長男が歩き始めてから幼稚園に入るまで、カアチャンの子育ては目が回る程の忙しさだった。
あろうことか彼は、半年を過ぎたあたりから「つたい歩き」を始め、可愛くハイハイする姿を見せる間もなく、わずか10ヵ月で歩き始めた…
1歳の誕生日を迎える頃には、アスファルトの上を当たり前のように走っていた(ΘoΘ;)
動きやスピードは一人前でも、頭の中身は月齢並みな訳で、それはそれは目を離せないホド危険極まりない(>_<)
疲れ果て、やつれたカアチャンに友人は
「育てられない子は授からないんだって〜!アンタはその“ガサ子”を育てる能力があるって見込まれたんだわぁ〜」
なんて、褒められてんのか?けなされてんのか?
と思いつつ、妙にその言葉に納得し、気が楽になったのでした。
突然走り出す長男を追いかけ、捕獲するカアチャンを見た義姉は言った。
「運動音痴の私には絶対無理だ…追いつかない(^_^;」
「間違いなく追い付く前に公園から道路に飛び出している!」と…
そして義姉は言った。
「家の子は二人共、足が遅くて良かったわ〜。りょう母ちゃんだから長男君なんだわぁ〜」と…
どんなに疲れ、痩せこけても、コイツは私じゃなきゃ育てられないんだ!
と思ったら(思い込みか?!)、俄然やる気になったのでした。
そんな生活も3年目に入り、幼稚園に入った長男。相変わらず落ち着きはなく、小児科で
注意欠陥多動性障害」じゃないか?と相談した事もありました…
当時、激ヤセしたカアチャンの体重はやっと40キロだった。30キロ台に突入か?!ってぐらい…(ちなみに身長は161cm)
ダーリンには「気持ち悪いから太ってくれ」と言われ、毎晩10時過ぎにお餅や甘い物を食べたものでした。(悲しい事に、今ではプラス10数キロ(*_*))
緩やかながらも長男の多動は少しずつ軽減され?!落ち着きを見せ始め、卒園前には人様の前で合奏の指揮者が出来る程になったのでした…
児童虐待のニュースを他人事じゃないと感じた事は何度もあった。
「きっとこの一線を越えるか越えないかだ…」と、虐待する人の気持ちが理解出来ると感じた事もあった…
目の前にそのラインを見て我に返ったものだった。恥ずかしながら何度も何度も…
越える人と越えない人の違いは何だろう?
周りに、変化に気付いた人はいなかったんだろうか…
飛び付いて来る次男をギュ〜ッと抱き締めると、
「カワイイ〜」となんともいえないくらい「愛しい」と思う時、
怒ってしまった事を反省したり、大事にしなきゃとか、色々な感情が湧き上がってくるのに…
我が子の首に手を掛ける瞬間、何も思い出さなかったんだろうか?!
不思議でならない…子供は自分の物じゃないのに…
確かに自分の身体から出てきたけど、それは通って来たってだけで、決して自分で造り出した訳でも生み出した訳でもない…
子供は「授かり物」って言うくらいだし…
それどころか「預かり物」って言ってもいいくらいだと思うわけで…
そりゃ〜長男のアホさ加減や暴言、何度注意をしても無視されたり、横着な態度にムカつく時も、くそ忙しい時に限ってまとわりついてくる次男をジャマくさいと思う時もある…
ついつい自分の都合で怒ってしまう事もあるけれど…
それでも子供達は大切な預かり物で、自分が成長する為に育てさせてもらってるんだと思えば、
自分の足りない所を引き出す為に神様から贈られたんだと思えば、
あらあら不思議!天使にだって見えてくる?!し(o^-')b
今の世の中、あまりにも子供が巻き込まれる事件が多発するのは…
キレる子供達が多発するのは(うちの子達はよく逆ギレするけれど(^_^;)、
みんな心が荒んでるんだ…
給食で「金払ってるんだから、いただきますは言わなくていい」なんて親が世の中にいるのは、
信仰心が無いからだ!神道でも仏教でも、キリスト教でも、決まった宗教を持たなくても構わない!「感謝の心」だって立派な信仰心だとカアチャンは思うのです。
子供という「与えられた(預けられた)命」に感謝…
今、自分に命がある事だって、食べる物がある事にだって、伴侶に、家族に、友人に、腹立たしい姑(我が家にはいませんよ!!!)にだって…
与えられている物のすべてに感謝の心を持っていれば、大人だって子供だって、命を軽んじる者はいないと思うのです。
と、ここ数日、かなり真面目に命について考えたカアチャンなのでした…子供達も、子育てするママ達も、安心して暮らせる世の中になって欲しいものです…